➖御国の希望に歩む②➖ キリスト教の葬儀と信仰

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「真直ぐな証し」

「真直ぐな証し」

ルカによる福音書23章41~43節

41われわれは、自分のしたことの報いを受けているのだからあたりまえだ。だがこの方は、悪いことは何もしなかったのだ。」 42 そして言った。「イエスさま。あなたの御国の位にお着きになるときには、私を思い出してください。」       43  イエスは、彼に言われた。「まことに、あなたに告げます。あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます。」

何の善行を積む時間もなく、洗礼さえ受けていない犯罪人、イエス・キリストと共に十字架につけられた強盗、何一つ誇れるものはなく、刑罰としての十字架が相応しい様なものでさえ、イエス・キリストを主とし、信じる信仰だけで義としてくださり、その場で天の御国へ招いてくださる。これが私たちの御国の希望であり、励ましです。この強盗の様なシンプルで真っ直ぐな信仰告白こそ、「証し」と言えるのではないでしょうか。

この強盗ほどではないにしても、この地上での生涯を振り返り、信仰の馳せ場を真っ直ぐに、走り通したと言い切れる方は、どれくらい居られるのでしょうか。私たちクリスチャンと言えど、このからだ、肉を着ている限りは罪や誘惑にいつも晒されています。常にイエス・キリストのフィルターをしっかり通して、誤りなき判断をしてこられたでしょうか?とても厳しい問い掛けです。

神のご命令を守り、完璧に歩む事が出来る人は一人もいません。「証し」とは自分史を、その成功を自慢するためのものではありません。失敗だらけで苦しく厳しい事の連続ではあったが、祈り神に向くことで都度神は赦してくださる。時には神からの折に適った助けや、励ましや、慰めがあった。例え直ぐには祈りが聞かれなくとも、聖霊に助けられて、祈り続けることで希望が与えられ、確信が与えられた。信仰を与えてくださった神を感謝し讃美し証しする、その姿勢をそして信仰を未だ神を受け入れていない、家族や親族、友人知人へと御国の希望と共に遺せたらと思わされます。

コリント人への手紙第二1章3~4節

3 私たちの主イエス・キリストの父なる神、慈愛の父、すべての慰めの神がほめたたえられますように。        4 神は、どのような苦しみのときにも、私たちを慰めてくださいます。こうして、私たちも、自分自身が神から受ける慰めによって、どのような苦しみの中にいる人をも慰めることができるのです。

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🔹 第1弾:御国の希望に歩む①

グレースセレモニーは、事前のご相談から、ご依頼主様と同じキリストを信じる者として、共に祈り準備を重ねて参ります。葬儀を通して、召された方の信仰の歩みから、参列者お一人お一人に福音を分かち合い、キリストを紹介する場として、召された方の思いを大切にしつつ、一都三県でのキリスト教葬儀を、最大限お手伝いさせて頂ければと願っております。

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