➖御国の希望に歩む①➖ キリスト教の葬儀と信仰
天に宝をたくわえる
天に宝をたくわえる
詩篇39篇4節
主よ。お知らせください。
私の終わりがどれだけなのか。
私が、どんなに、はかないかを知ることができるように。
私たちは自分の人生において、様々な選択や決断をしながら歩んでいきます。しかし残念ながら、齢を自分で決める事はできないのです。思いがけず、ある日突然訪れる事もあるでしょう。
聖書にひとつのたとえ話があります。
ある金持ちの畑が豊作であった。そこで、彼は、心の中でこう言いながら考えた。『どうしよう。作物をたくわえておく場所がない』そして言った。『こうしよう。あの倉を取りこわして、もっと大きいのを建て、穀物や財産をみなそこにしまっておこう。そして、自分のたましいにこういおう。「たましいよ。これから先何年分もいっぱい物がためられた。さぁ、安心して、食べて、飲んで、楽しめ」』しかし神は彼に言われた。「愚か者。おまえのたましいは、今夜おまえから取り去られる。そうしたら、おまえが用意した物は、いったいだれのものになるのか」自分のためにたくわえても、神の前に富まない者はこのとおりです。
神の前に富む…とはどう言う事でしょうか?それは神の願いに取り組むと言う事です。神の願っておられる事とはどのような事でしょうか?
マタイによる福音書25章35節
あなたがたは、わたしが空腹であったとき、わたしに食べる物を与え、わたしが渇いていたとき、わたしに飲ませ、わたしが旅人であったとき、わたしに宿を貸し、わたしが裸のとき、わたしに着る物を与え、わたしが病気をしたとき、わたしを見舞い、わたしが牢にいたとき、わたしをたずねてくれたからです。 イエス・キリストはいつも、貧しい者や立場の弱い者に目を留め、仕えておられました。
マタイによる福音書6章21節
あなたの宝のあるところに、あなたの心もあるからです。
いつ齢が尽きるのか分からない中、どこに宝を積むのか考えてみる必要がありそうです。
グレースセレモニーは、事前のご相談から、ご依頼主様と同じキリストを信じる者として、共に祈り準備を重ねて参ります。葬儀を通して、召された方の信仰の歩みから、参列者お一人お一人に福音を分かち合い、キリストを紹介する場として、召された方の思いを大切にしつつ、一都三県でのキリスト教葬儀を、最大限お手伝いさせて頂ければと願っております。
