➖悼みのミニストリー➖ キリスト教の葬儀と信仰

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悼みのミニストリー

キリスト教の葬儀


キリスト教の葬儀では、天に召された方が、何を大切にし、信じて歩み又支えられてきたのかを、証しする時となります。更に聖書の朗読や説教を通して、召された方が今どこにおられるのか、その命は神の祝福の中に置かれ、その生涯は主のもとに完成される、天の御国<永遠の命>の希望も語られます。その事を通して、遺族や参列者に悲しみの中にも慰めや希望がある、と私は信じています。一方で寂しく、切なく、割り切れない思いを抱くのも当然の事です。むしろその押し寄せてくる悲しみを、しっかり悲しみとして受け止め、共に寄り添い、支え合えるようになりたいと思わされます。忙しい現代では、遺族もゆっくり喪を過し、しっかりと悲しむ時間も許されない様です。そのような中でもクリスチャンには日曜礼拝という、神との交わり、信仰の友との交わりがあります。召された方と、共に過ごした日々を思い起こしつつ、語り合い祈り合いの関係、正に悼みのミニストリーが必要とされているのではないでしょうか。

ローマ人への手紙 12章15節
  喜ぶ者といっしょに喜び、泣く者といっしょに泣きなさい。

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