➖牧師は葬儀でどんな話をするの?➖ キリスト教の葬儀と信仰

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イエスは涙を流された

キリスト教の葬儀

先週ご案内させて頂いた、ご葬儀での説教から抜粋です。

「イエスは涙を流された」
ヨハネの福音書 11章25~26節  イエスは言われた。「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。
また、生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことがありません。このことを信じますか。」

ヨハネの福音書 11章35節  イエスは淚を流された。

私たち人は、決して死を避けて通ることはできません。愛する人を失った時の悲しみは、はかり知る事はできません。イエス・キリストは神でありながら、人としてこの世に来られ、私たちと共に苦しみ、悲しみ、涙を流され、一人ひとりに寄り添ってくださいました。
牧師から、天に召された方は「信じる者と共に住まわれる主」
ヨハネの福音書 14章23節  イエスは彼に答えられた。「だれでもわたしを愛する人は、わたしのことばを守ります。そうすれば、わたしの父はその人を愛し、わたしたちはその人のところに來て、その人とともに住みます。
また「聖霊の内住」に惹きつけられ、信仰を持たれたと分かち合いがありました。
「わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。」イエス・キリストは死者の中から初穂として、甦られた。この事を信じる者は、死んでも生きる、復活にあずかることが出来る。新しい栄光の体を着せていただくことが出来る。イエス・キリストを信じる者は、永遠に生きる。と分かち合っていただきました。更に今天に召された方が、どの様なところに居られるのかも、み言葉を通して語られました。


黙示録 21章3~4節  そのとき私は、御座から出る大きな声がこう言うのを聞いた。「見よ。神の幕屋が人とともにある。神は彼らとともに住み、彼らはその民となる。また、神ご自身が彼らとともにおられて、

彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである。」


この世にあっては、悲しみや苦しみ、理不尽なこともあります。しかし天に召された方は、以前のものは全て過ぎ去り、栄光の体を着せられ、神のもとで安息の中に居られる。イエス・キリストにあって、私たちも同じところでまた、再会することが出来る。この再会を私たちは希望として、この地上で与えられている、日々を大切に、しっかりと歩んでいきたい、と思わされるのです。と締めくくって頂きました。

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