➖やり残した宿題➖ キリスト教の葬儀と信仰
目次
やり残した宿題
イエス・キリストが来られた意味
どんなに心温まる葬儀を提供できたとしても、人の力では「もつれた人間関係」「疎遠になってしまった親族」「傷つけ、傷つけられた関係」を修復することは困難です。その関係が「親子」「兄弟姉妹」と近ければ近いほど難しいと言えるのではないでしょうか。誰にでもあの人とわだかまりがあるままだ…とか、縁が切れてしまったままだ…など、人間関係で解決されていない問題があると思います。ご葬儀の仕事に携わっていると、肉親だからこその難しさや厳しい場面に立ち会う事があります。そんな時、キリストが来られた意味を思い返します。「エペソ人への手紙2章14節キリストこそ私たちの平和であり、二つのものを一つにし、隔ての壁を打ちこわし、ご自分の肉において、敵意を廃棄された方です。」人間関係においても、関係を回復し平和を与えてくださる神がおられるとは、何と言う希望でしょうか。やり残した宿題を神に助けられながら取り組んでいきたいと思わされます。
コロサイ人への手紙3章13節
「互いに忍び合い、だれかがほかの人に不満を抱くことがあっても、互いに赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたもそうしなさい。」
