依頼者様の声– 信仰に基づく葬儀の実例 - 大切な方とのお別れを支える声 –
キリスト教の葬儀を執り行うにあたって、私たちは皆様から多くのことを教わります。故人を送り出す瞬間に感じられる深い信仰と、神への感謝の気持ち。それは、ただの儀式ではなく、家族や友人とともに、天国に向かう旅路を祝福する時でもあります。皆様がどのような思いでこの日を迎え、どのようにして神の愛と平安に包まれながら、故人との別れを受け入れられたか。それらの経験は、私たちにとっても大切な学びの機会です。クリスチャンの信仰に基づいた葬儀が、どれほど深い意味を持つかを、皆様のお言葉や態度から日々教えられています。このページでは、皆様の声を通じて、その一端をご紹介できればと願っております。
両親はイエス・キリストを罪からの救い主と信じ、それぞれその生涯をキリストとともに歩み、その人生に幕を閉じました。
ふたりともこれまでの人生でつらいことや苦しいこともあったと思いますが、残された遺族にとっては今両親がすべての苦しみから解放され、キリストとともにいちばん安心できる天国にいる、ということがなぐさめであり、またここに深い喜びがあります。
告別式では生前から通っていた教会の親しい皆様とともに神を礼拝し、讃美歌を歌い天に召された故人を偲びました。
また、まだイエス・キリストのことをよく知らない親族に対しても、神がどのようなお方なのか聞いていただく機会にもなりました。
生前から両親が願っていた、葬儀に関する希望を尊重し、そのままとり行うことが出来たことを、神に感謝しています。
“しかし、事実、彼らは、さらにすぐれた故郷、すなわち天の故郷にあこがれていたのです。それゆえ、神は彼らの神と呼ばれることを恥となさいませんでした。事実、神は彼らのために都を用意しておられました。”
(ヘブル人への手紙 11章16節)
私は、クリスチャンの家族に生まれたため、元々キリスト教の葬儀も一般的な葬儀も両方を見ることがありました。そして、私の家族の葬儀は当然キリスト教の葬儀で行うだろうと思っていました。
その通りに、私の祖父母、母の葬儀は私が通う教会の牧者によって、キリスト教式で行われました。そして、葬儀の準備は、この会社の創立者である高橋さんが執り行ってくださいました。親族・友人の中には、イエスキリストを信じている人もそうでない人もいました。キリスト教の葬儀の全てに当てはまるかはわかりませんが、行って頂いた葬儀は、亡くなった家族をただ悲しんだり悼むだけではなく、神がイエスキリストによって約束してくださったように、死者の復活があること、信仰によっていつまでも主と共にいることになる希望を聖書から再確認するときになりました。そして、亡くなった家族が、神の御手にあること、神がイエスキリストを信じる者を、終わりの日に必ずよみがえらせてくださること、そして私もいつかそのようになり、再会する日が来るという希望や励ましを葬儀の中で得ることができました。
その後の歩みについては、キリスト教以外の葬儀をした事がないため、比較ではなく、個人的な感想になってしまいますが、家族が亡くなったことを思い出すとき、同時に先ほど書いた神の約束や希望、そして励ましが同時にあります。これを書いている時は、家族が亡くなってまだ3年の時です。時に、家族を思い出したり、生きていたらどうだったかななどと思うことがあります。ですが、同時に神が私の家族に対して良くしてくださったこと、そして聖書に書いてある約束通りに、キリストと共におらせて頂いていると確信があり、一番最良の結果になったんだなと平安があります。この慰めと平安は、キリスト教葬儀だからあるものではなく、キリスト教葬儀を通して、聖書に書いてある御言葉が語られることによって得られたものだと確信しています。イエスキリストを信じる私にとって、キリスト教の葬儀で行えたことは、亡くなった家族と私に対する神の約束と希望で励まされる機会であり、悲しみはあっても、悲しみに沈むことなく、むしろ感謝して歩むことができるきっかけになったと感じています。
私の家庭はクリスチャンホームではありません。母と妹、私はキリストを信じましたが、父は、教会に通った事はなく、聖書を読んだ事もありませんでした。
晩年の父は脳梗塞のため特別養護老人ホームで数年間暮らしました。私や妹が訪問する度に詩篇や、子どもの絵本などを短く読んだり、賛美しているうちに、「イエス様の話をしてね」と言うようになりました。ある時、着くなり「イエス様の話をしてほしい」「イエス様に近くに来てほしい」と話すので、「イエス様は、お父さんが悪いから十字架にかかり、天国に行けるようにしてくださったんだよ、これをお父さん信じる?」と話すと「信じる」と言いました。
その後、さらに認知機能が衰え、ホームから入院。コロナのため家族の面会ができなくなった時期と重なり、父と会えない期間が大きく空き、父の信仰を確かめる事もできませんでした。
最後に病院から連絡を受け、面会時間5分の制限の中、ホームで歌っていた賛美を流し詩篇を読むと父が喜んでいるように思えました。
個室の病室で祈っていると、キリストが現れ「父の罪は血潮で覆ったから大丈夫」と言われたように思いました。ただベッドに寝ているだけで教会に行った事もない、洗礼を受けてもいない父の罪を血潮で覆ってくださるキリストの愛を体験した時でした。
この事を通して、葬儀は「キリスト教式でないと、父の思いに反してしまう」という思いが強くありました。信徒ではありませんが、司式を牧者に相談すると快諾してくださり、とても安心しました。
葬儀をお願いした高橋さんは、細かな見積もりや遺影のことまで親身に相談に乗ってくださり、私たちの気持ちに寄り添ったプランニングをしていただけたので、とても安心できました。
当日はこじんまりした家族葬でしたが、未信者の家族に「キリストにある希望」を証しできた良い時となりました。神の不思議な導き、救いを心から感謝しています。
ローマ4:5 何の働きもない者が、不敬虔な者を義と認めてくださる方を信じるなら、その信仰が義とみなされるのです。
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最後に、グレースセレモニーにご依頼いただきましたことに、心から感謝申し上げます。私たちは、皆様の大切な方を送り出すお手伝いをさせていただくことで、神に仕える喜びを感じております。信仰に基づいた葬儀を通して、皆様が神の平安と希望を感じられることを願っております。これからも私たちは、皆様の思いに寄り添い、心からのお手伝いを続けてまいります。どうか、今後とも私たちグレースセレモニーをよろしくお願いいたします。