➖神に喜ばれる《善き備え》とは?➖ 終活とは「今をどのように生きるか」

目次

「終活」ではなく「善き備え」です

前回のブログでは、クリスチャンの「終活」は、一般的な「人生の終わり対策」とは違うと分かち合いました。    「死を新たな旅立ちと捉え、その『善き備え』を神の愛と永遠の命への希望の元で行う事」と分かち合いました。

「善き備え」とは「今をどのように生きるか」

「終活」は「私」が主役ですが、「善き備え」は「神」が私の人生において何を望んでおられるのか!!です。

「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト․イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。」(聖書テサロニケ人への手紙5章16~18節)

これは「イエス・キリストにあって神が望んでおられること」であり、どんな状況でも神への信頼と感謝、祈りと希望を持つ生き方が、信仰者にとって大切であることをシンプルに示しています。

それでは

なぜ喜べるのか?なぜ祈れるのか?何を感謝できるのか?みていきましょう。

『なぜ喜べるのか』
喜びの理由は、状況や気分ではなく「神との関係」に基づいています。
神がすべてを見ておられ、愛で包んでおられる存在と信じられるから、困難な中でも“心の喜び”を保つことができます。
この喜びは、一人ひとりの弱さや悲しみの中にも共にいてくださる神を知っていることから生まれます。

『なぜ祈れるのか』
祈りは、決して四六時中声に出して祈ることではなく、「どんなときも心を神に向けている」状態です。
私たちは、イエス・キリストの十字架のおかげで、人生のどんな時も神に語りかけることができ、日常のあらゆる場面で神に頼ることができます。神が話を聞いてくださる、側にいてくださるという信頼があるから途切れず祈れるのです。

『何を感謝できるのか』
「良いこと」だけでなく、「つらいこと」にも何かしら神の配慮や意味があると信じ、すべての事で感謝することが勧められています。困難や不足も、神の守りと計画を信頼して受け入れる心が、どんな時にも感謝を生みます。

感謝は「神がすべてをご存知で、最善をなしてくださる」と信じて、歩む信仰の結果です。

~何よりも~

イエス・キリストの十字架は、私たちがどの様な時もどの様な状況でも感謝することができます。

「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(聖書ヨハネの福音書3章16節)

しかし神は私たちには「できない」という事も、既にご存知です。肉を着ている限り、弱く塵のような私たちをも、神はいつでも聖霊によって助けてくださる。と約束してくださっています。

どのようにして聖霊は与えられるのでしょう?

「求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。だれであれ、求める者は受け、捜す者は見つけ出し、たたく者には開かれます。」(聖書マタイの福音書7章7~8節)

 「してみると、あなたがたも、悪い者ではあっても、自分の子どもには良い物を与えることを知っているのです。とすれば、なおのこと、天の父が、求める人たちに、どうして聖霊を下さらないことがありましょう。」(聖書ルカの福音書11章13節)

私たちにとって《善き備え》の取り組みには、聖霊の助けが不可欠です。神に祈りつつ求めましょう。

そして遂には天の御国を相続する。


「そのとき私は、御座から出る大きな声がこう言うのを聞いた。『見よ。神の幕屋が人とともにある。神は彼らとともに住み、彼らはその民となる。また、神ご自身が彼らとともにおられて、
彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである。』」(聖書 黙示録21章3~4節)

この事を信じ、日々神に従うことに取り組み続ける道を、励まし合って歩むこと
それが《善き備え》となるのではないでしょうか。

讃美「Before the Throne of God Above」(御座の前に立ち)は、「神はどのような方か」「救いの確かさ」「罪からの解放と平安」など、信仰者に神の愛とキリストによる救いの確かさを伝えるものです。

次週は

『善き備え 』人生の終わりを考えることは「生」を考えること(緩和ケア医師の著書より)を紹介して参ります。

                            こちらもぜひ御覧ください。

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🔹 ➖「終活」?いえいえ「善き備え」です➖ 「終活」とは「今をどのように生きるか」

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グレースセレモニーは、事前のご相談から、ご依頼主様と同じキリストを信じる者として、共に祈り準備を重ねて参ります。葬儀を通して、召された方の信仰の歩みから、参列者お一人お一人に福音を分かち合い、キリストを紹介する場として、召された方の思いを大切にしつつ、一都三県でのキリスト教葬儀を、最大限お手伝いさせて頂ければと願っております。

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