➖最後の言葉集②➖ キリスト教の葬儀と信仰
聖書の「最後の言葉」から学べる事
信仰や価値観の本質が表れる
この世での最後の幕が下りようとする時、その人の信仰や人生観が最も純粋な形で表現されるようです。最後まで希望や愛を持ち続けることの大切さ、難しさが伝わります。聖書に記された実在する信仰者が、遺した最後の言葉、現代を生きる私たちにも大きな影響や学びを残します。他人の経験や最後の思いから学ぶことは、歴史や人生の知恵を受け継ぐ機会でもあります。特に聖書の信仰者の「最後の言葉」からは、信仰・希望・感謝・人生の知恵など、困難なときにこそ大切にしたい価値観を学ぶことができます。
歴史的リーダー(民族の指導者・王)
・サムエルのこの世での最後の言葉 最後の士師・預言者、王政導入のキーパーソン
サムエルの「この世での最後の言葉」として新改訳聖書に記録されているのは、サムエル記第一12章の「告別説教」です。イスラエルの民に向かって、自身の誠実さを証しし、神に従うよう強く勧めました。
代表的な一節は以下の通りです。
「恐れてはならない。あなたがたは、このすべての悪を行なった。しかし主に従い、わきにそれず、心を尽くして主に仕えなさい。」(サムエル記第一12章20節、新改訳聖書)
この言葉が、サムエルの最後の公開のメッセージとして記されています。
この聖句は、イスラエルの民が自分たちの罪を認めて恐れたとき、預言者サムエルが彼らに語った励ましの言葉です。民は王を求めたことで神に逆らったと気づき、不安と恐れに包まれていました。
恐れに対する励まし
サムエルは「恐れてはならない」と語り、民の心をなだめています。人は過ちを犯したとき、神の怒りや裁きを恐れるものですが、サムエルは神のあわれみと赦しに目を向けさせています。
過去の罪よりも、今からの従順
「あなたがたは、このすべての悪を行った」とあるように、民は確かに過ちを犯しました。しかし、サムエルは過去にとらわれ続けるのではなく、「主に従い、わきにそれず、心を尽くして主に仕えなさい」と勧めています。
神は、過去の失敗よりも、今後どのように歩むかを重視されます。悔い改めて神に立ち返るなら、新しい歩みが始まることを示しています。
心を尽くす信仰
「心を尽くして主に仕えなさい」とは、表面的な行動ではなく、誠実な心で神に従うことの大切さを教えています。神は人の内面を見ておられ、真心からの従順を喜ばれます。
・ダビデのこの世での最後の言葉 イスラエル王国の理想的な王、メシアの系譜
ダビデがこの世で語った「最後の言葉」として記録されているのは、息子ソロモンへの遺言です。新改訳聖書によれば、ダビデは死の直前、ソロモンにこう語りました。
「私は今、世のすべての人の道を行こうとしている。強く、男らしくありなさい。あなたの神、主の戒めを守り、モーセの律法に書かれているとおりに、主のおきてと命令と定めとさとしを守って、主の道を歩まなければならない。あなたが何をしても、どこへ行っても、栄えるためである。」(列王記第一 2章2~3節、新改訳聖書)
この言葉が、ダビデの現世での最後の遺言として記されています。
この箇所は、ダビデ王が息子ソロモンに遺言を残す場面です。ダビデは自分の人生の終わりが近いことを悟り、次代を担うソロモンに対して、王として、また神の民の指導者としてどう生きるべきかを語ります。
「強く、男らしくありなさい」
ここでダビデは、ソロモンに対して勇気と覚悟を持つことを求めています。王としての重責を果たすためには、困難や誘惑に負けず、しっかりと立ち向かう強さが必要だという教えです。
「主の戒めを守り、律法に従いなさい」
ダビデは、神がモーセを通して与えた律法(神の教えや命令)を守ることの大切さを強調しています。王として成功するためには、単なる力や知恵だけでなく、神の意志に従う姿勢が不可欠だということです。
「主の道を歩む」
これは、神の教えに従って誠実に生きることを意味します。自分の思いや人の意見に流されるのではなく、神の価値観を基準にして歩むことが求められています。
「何をしても、どこへ行っても、栄えるためである」
ダビデは、神の教えを守って生きるならば、ソロモンがどんな状況にあっても、神の祝福を受けて成功することができると約束しています。つまり、信仰に基づく生き方が人生の繁栄につながるという励ましです。現代に生きる私たちにも、「困難な時こそ信念を持ち、正しい道を歩むことが大切だ」と語りかけていると言えるでしょう。
次週は
異邦の地で神の計画を担った人物(夢・幻・預言)の「最後の言葉」
ヨセフ:夢解きでエジプトの宰相となり、イスラエルの民を救う
ダニエル:バビロン捕囚下で夢や幻を解き明かし、信仰を守った預言者
を予定しています。こちらもぜひ御覧ください。
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グレースセレモニーは、事前のご相談から、ご依頼主様と同じキリストを信じる者として、共に祈り準備を重ねて参ります。葬儀を通して、召された方の信仰の歩みから、参列者お一人お一人に福音を分かち合い、キリストを紹介する場として、召された方の思いを大切にしつつ、一都三県でのキリスト教葬儀を、最大限お手伝いさせて頂ければと願っております。
