➖御国の希望に歩む⑤➖ キリスト教の葬儀と信仰
「御国の希望に目をとめて生きるとは」
「御国の希望がもたらすもの」
ヨブ記1章21節
そして言った。「私は裸で母の胎から出て来た。また、裸で私はかしこに帰ろう。 主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな。」
イエスの復活により、信じる私たちに与えられた、御国の希望とは何でしょうか。それは何よりも人生の意味と目的が与えられたということです。一生懸命仕事をし、財を成し、豊かな人生を送ったとしても、先のみ言葉のように人は死を迎える時、何一つ持っていく事ができず、結局生まれた時と同じように、裸で人生を終えるのです。それでは結局、何が人生の最終的な目的でしょうか。
キリスト者は御国の希望が与えられたことにより、人生の目的が・・永遠の神との交わり・・となり、それにより日々の行動や選択が変えられるのです。何が神のみ心で、何が神を喜ばせることなのか、祈り求め、自分のことだけでなく、アガぺの愛を頂いて、周りの人を愛することに取り組み始めます。
御国の希望に目をとめることにより、地上の移り行く価値観(人の評価・自己実現など)に執着しなくなり、軽い荷で歩めるようになるのです。
それは決して地上からの現実逃避ではなく、むしろこの世の出来事を「神との関係」という新しい視点でとらえられるようになるからです。時には苦難があったとしても、希望を失わず、キリストの復活により与えられた、「生ける望み」に支えられ、失望せずに歩むことができるのです。
キリストの復活により与えられた、恵みの大きさを思い巡らし日々を過ごしたいものです。
コロサイ人への手紙3章1~2節
こういうわけで、もしあなたがたが、キリストとともによみがえらされたのなら、上にあるものを求めなさい。そこにはキリストが、神の右の座を占めておられます。あなたがたは、地上のものを思わず、天にあるものを思いなさい。
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グレースセレモニーは、事前のご相談から、ご依頼主様と同じキリストを信じる者として、共に祈り準備を重ねて参ります。葬儀を通して、召された方の信仰の歩みから、参列者お一人お一人に福音を分かち合い、キリストを紹介する場として、召された方の思いを大切にしつつ、一都三県でのキリスト教葬儀を、最大限お手伝いさせて頂ければと願っております。
