ブログ更新のお知らせ|「御国の希望に歩む」シリーズ第4弾を公開しました。

「イエス・キリストとともに新しく生きる」

「イースター復活祭を終えて」

ガラテヤ人への手紙2章20節

私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が肉にあって生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。

イースター(復活祭)において私たちはイエス・キリストの復活の意味をリマインドして頂きました。         この復活は私たちにとって大きな希望となりました。

ヨハネの福音書11章25節

「わたしはよみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。」              と聖書に書いてある通りです。

さらには

コリント人への手紙第二4章14節

「それは、主イエスをよみがえらせた方が、私たちもイエスとともによみかえらせ、あなたがたといっしょに御前に立たせてくださることを知っているからです。」

と神の偉大なる力によるのだ、と聖書に書いてある通りです。

それではイエス・キリストとともに生かされた私たちは、やったラッキーとしてこれまでの様な、罪の中に生きて良いものでしょうか。冒頭のみ言葉にあるように、パウロがガラテヤのクリスチャンに向けて、書いた手紙を解釈し適応していく必要があるのではないでしょうか。

いつもグレースセレモニーのブログをご覧いただきありがとうございます。
このたび、「御国の希望に歩む」シリーズ第4弾 を公開しました!

🔗 最新記事はこちら
➡ 御国の希望に歩む④

本シリーズでは、キリスト教葬儀の意義や、聖書に基づく葬儀の在り方 について詳しく解説しています。今回の第3弾では、新たな視点から葬儀について考える内容となっています。

📖 過去のシリーズ記事もぜひご覧ください

🔹 第1弾:御国の希望に歩む①

🔹 第2弾:御国の希望に歩む②

🔹 第3弾:御国の希望に歩む③

本シリーズを通じて、キリスト教葬儀の深い意味や、神の御心に沿ったお別れの形について考えるきっかけとなれば幸いです。

今後も、キリスト教の葬儀に関する有益な情報を発信してまいりますので、どうぞお楽しみに!

Grace Ceremony (グレース セレモニー)
代表 高橋 清徳

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