➖御国の希望に歩む③➖ キリスト教の葬儀と信仰
「イースター復活祭4/20を前に思うこと」
「十字架と復活」
ヨハネによる福音書11章25節 「わたしはよみがえりです。いのちです。
わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。」
旧約聖書の時代、人間が罪を犯すと贖いの印として、動物が捧げられ、身代わりとなって死に、罪の赦しを得ていました。その後神の独り子、イエス・キリストが地上に来られ、罪のないこの方が人間の身代わりとなり十字架で命を捧げ、私たちを贖って下さったのです。預言者ヨハネはイエス・キリストを見て「見よ。世の罪を取り除く神の子羊。」と言われました。
イエス・キリストは地上での33年間、神の国を述べ伝え、癒しや不思議を行い、罪を示し悔い改めを勧め人々に仕えられました。しかし人間は自分の罪を認めず、イエス・キリストを十字架にかけたのです。十字架で死に、3日間父なる神からも完全に断絶された黄泉に下られました。しかし3日目によみがえり再び弟子達に現れ、その後天に昇られ、今も私たちの為に執り成していて下さるのです。この復活を記念し祝うのが復活祭(イースター)なのです。 なぜこの復活に大きな意味があるでしょうか?
それは、復活されたと言う事が、イエス・キリストが死に勝利されたと言う事だからです。
使徒の働き2章24節 しかし神は、この方を死の苦しみから解き放って、よみがえらせました。この方が死につながれていることなど、 ありえないからです。
私たちにとっても、もはや死が終わりではなくなったのです。
また私たちクリスチャンは、イエス・キリストを信じ受け入れると洗礼を受けます。洗礼とは、自分の肉の欲に従い罪の中を歩いていた古い自分に死んで、新しくイエス・キリストに助けられて生きますと表明する時であり、またお葬式でもあるのです。古い自分が死んだ後は、イエス・キリストの復活の力を頂いて歩き始めるのです。
ペテロの手紙第一1章3節
「私たちの主イエス・キリストの父なる神がほめたたえられますように。神は、ご自分の大きなあわれみのゆえに、イエス・キリストが死者の中からよみがえられたことによって、私たちを新しく生まれさせて、生ける望みを持つようにしてくださいました。」
さらに人が、この地上の歩みを終える時、イエス・キリストと同じように天に引き上げられ、御国に迎え入れられると言う約束を頂きました。それが私たちクリスチャンの希望です。
コリント人への手紙第二4章14節
「それは、主イエスをよみがえらせた方が、私たちをもイエスとともによみがえらせ、あなたがたといっしょに御前に立たせてくださることを知っているからです。
キリストはこう言われました。
ヨハネによる福音書11章25節
イエスは言われた。「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。」
イエス・キリストの十字架、復活を憶え、御国の希望を抱きつつ
神に助けられて歩める事を感謝します。
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グレースセレモニーは、事前のご相談から、ご依頼主様と同じキリストを信じる者として、共に祈り準備を重ねて参ります。葬儀を通して、召された方の信仰の歩みから、参列者お一人お一人に福音を分かち合い、キリストを紹介する場として、召された方の思いを大切にしつつ、一都三県でのキリスト教葬儀を、最大限お手伝いさせて頂ければと願っております。
