➖神に喜ばれる《善き備え》とは?➖ 緩和ケアに携わる医療従事者のことばより
人生の終わりを見つめることは、実は今をどう生きるかを考えることにつながります。緩和ケアに携わる医療者が、その多くの経験を通じて残されたことばの中に、私は大切な示唆を感じました。
終活とは「今をどのように生きるか」
人は「死」を自分の人生に取り入れることで、逆に「生」をより深く考えるようになります。自分はこれからどのように生きたいのか、何を大切にしたいのか、今のうちに何を実現しておきたいのか──その輪郭が見えてくるのです。
同時に、人生の最終段階に近づいたとき、人は「もっと時間があれば…」「あれをしておけばよかった…」と悔いや課題を振り返っても、それに取り組む力や時間は残されていない場合が多いという現実があります。そうであるならば、命があり、与えられた日々を生きる今こそ、私たちは何を優先し、どのように歩むべきかを考える必要があるのではないでしょうか。
「 主よ。あなたの道を私に知らせ、あなたの小道を私に教えてください。 あなたの真理のうちに私を導き、私を教えてください。あなたこそ、私の救いの神、私は、あなたを一日中待ち望んでいるのです。」 (聖書 詩篇25篇4~5節)
もちろん、健康な間には、死や人生の終焉をリアルに思い描くことは難しいかもしれません。しかし、人はそれぞれに寿命の長さを知ることはできず、すべてが神の御手のうちにあります。だからこそ、敢えて「終わり」を思い描き、そこから逆算して今を歩むことには大きな意味があるように思います。
「しかし、主よ。私は、あなたに信頼しています。私は告白します。「あなたこそ私の神です。」 私の時は、御手の中にあります。私を敵の手から、また追い迫る者の手から、救い出してください。」 (聖書 詩篇31篇14~15節)
「人生の最後に、あなたが大切な人へ伝えたいメッセージは何ですか?」
先の医療従事者からの問いかけの一つに「人生の最後に、あなたが大切な人へ伝えたいメッセージは何ですか?」というものがありました。特に日本では、家族や愛する人がまだ信仰に導かれていない場合も多くあります。その中で「神を知ってほしい、救われてほしい」と願う思いは、クリスチャンにとって切実なものです。
だからこそ、力も与えられている今のうちに、自分は神から何を受け、どのようなお方を信じているのか、その証を言葉として残しておく大切さを思わされます。
「わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。」 (聖書 詩篇103篇2節)
「これが神の真の恵みであることをあかししました。この恵みの中に、しっかりと立っていなさい。」 (聖書 ペテロの手紙第一5章12節)
興味深いことに、この医療従事者の方は、特に信仰について語ってはいませんでしたが、「人間は見える肉体と、見えない魂でできている。むしろ大切なのは魂なのかもしれない」と記しておられました。そして「死が本当に最終地点なのだろうか」と問いかけています。クリスチャンにとっては、この問いの先に答えがあります。それは、死を超えた先に神の約束された御国があるという確信です。
聖書には次のように記されています。
「しかし、私たちは、義の宿る新しい天と新しい地とを待ち望んでいます」 (ペテロの手紙第二3章13節)
「何を願い、何を祈るのか」
多くの最期に関わってきた、緩和ケア医療従事者の方の言葉には、今をどう生きるかへの大切な気づきが込められていました。私自身も、立ち止まって「地上の歩みをどのように神と共に進めるのか」「何を願い、何を祈るのか」「何を残し、次世代へ伝えるのか」を改めて考えてみたいと思わされました。
次週は
『善き備え CAFE 』
海外では「DETH CAFE」日本では「終活CAFE」が実施されており、 その内容をご紹介いたします。!!
こちらもぜひ御覧ください。
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🔹 ➖「終活」?いえいえ「善き備え」です➖ 「終活」とは「今をどのように生きるか」
🔹 ➖神に喜ばれる《善き備え》とは?➖ 終活とは「今をどのように生きるか」
グレースセレモニーは、事前のご相談から、ご依頼主様と同じキリストを信じる者として、共に祈り準備を重ねて参ります。葬儀を通して、召された方の信仰の歩みから、参列者お一人お一人に福音を分かち合い、キリストを紹介する場として、召された方の思いを大切にしつつ、一都三県でのキリスト教葬儀を、最大限お手伝いさせて頂ければと願っております。
