➖「終活」?いえいえ『善き備え』です➖ 終活とは「今をどのように生きるか」
終活とは「今をどのように生きるか」
一般的に馴染んできた「終活」という言葉には「人生の終わりに備える」という響きがあります。資産整理や、 思いや意志の記録…。しかし、クリスチャンにとって「終わり」とはどの様な意味があるのでしょうか?
死はゴールじゃなく、永遠のスタート
聖書では、人は神に造られ、限りある地上の生を終えたあと、「永遠のいのち」が始まると告げられています。
イエス・キリストは「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。」(ヨハネの福音書11章25節)と語りました。
また、パウロも「しかし、朽ちるものが朽ちないものを着、死ぬものが不死を着るとき、「死は勝利にのまれた」としるされている、みことばが実現します。」(コリント人への手紙第一15章54節)と書き残しました。
クリスチャンの「終活」は、普通の「人生の終わり対策」とはちょっと違うことが分かります。「死を新たな旅立ちと捉え、その『善き備え』を神の愛と永遠の命への希望の元で行う事」と言えます。
この事を踏まえて、神と共に今をどう生きるかが大事。これがクリスチャンの「終活」ではないでしょうか。
「私たちの齢は七十年。健やかであっても八十年。しかも、その誇りとするところは労苦とわざわいです。それは早く過ぎ去り、私たちも飛び去るのです。」(詩篇90篇10節)――
この聖句の通り、限りある時間をどんな心で生きるかが問われています。
信仰は、ただ天国に招かれるための切符ではなく、今日を価値あるものにする力です。
終活『善き備え』も「この人生を整える=使命や愛を分かち合う機会」と考えられます。
思いを遺す、信仰を繋ぐ
『善き備え』で大切なのは、財産整理や書類以上に、自分が信じた信仰や希望を伝えること。クリスチャンとして「神様が歩かせてくれた人生」「祈りの体験」「試練を希望へ変えられたこと」を分かち合っていきたいものです。
クリスチャンの終活『善き備え』でも、様々な段階において家族との葛藤や平安が交錯します。 8月には「証し」を取り上げましたが、それぞれの段階で、明らかに神が働いておられ、恵みを溢れるばかりに与えて下さいました。
親子の心を育てた、信仰的な体験
「頑なだった父が、終末期に向け徐々に心を開き、息を引き取る直前に信仰を受け入れた。家族や教会の兄弟姉妹、皆が祈り合い、牧者がベッドサイドで神の愛を語り、父が『信じる』とうなずいた。」
🔹 ➖証し集②➖「父の病床洗礼」それは神の憐れみ・恵みそして与えられた平安(東京都K・Oさん)
祈りと証しが支えとなる瞬間
「パーキンソンの試練を負い苦しみの中、クリスチャンの母が『死が怖い。天国へ行けるか分からない』と。正直に不安を言葉にし、付き添う家族がみ言葉と祈りで励ます。その言葉が「終活」によって遺され、家族にも平安と希望をもたらし、葬儀の場でも『信仰と愛』が皆の心に「証し」として刺さった」。
🔹 ➖証し集①➖家族の地上での歩みを見送り(千葉県J・Tさん)
福音を分かち合う中で、変えられていく自分自身の内側
「愛し難い伯父を目の前に、自分には持ち合わせていない憐みの気持ちが与えられ、この人のためにもイエス・キリストは命を懸けられたのだと、胸に迫り福音を分かち合い、祈ることができた。」
🔹 ➖証し集③➖「親族の地上での歩みを見送り」(神奈川県E・Tさん)
これらのことからも「終活」が世の中的な死の準備ではなく『善き備え』信仰・希望・愛のバトンとして伝える、神からの恵みの時と理解できます。
終活というより『善き備え』です。
人生の限界を見据えて、残された時間を豊かに生きる、それは神から与えられた智慧であり、死後を見据えた霊の準備でもあります。「神は、すべての人が救われて、真理を知るようになるのを望んでおられます。」(テモテへの手紙第一2章4節)。
どの様な状況でも、神を信じ祈り聖霊の助けを求めるならば、家族の物語の中に神の愛があふれ、危機から信仰への転換があり、祈りによる状況の変化があるはずです。どの様な些細なことも感謝として遺しておくことは大事なことであり、その為のエンディングノートは『善き備え』の基本ではないでしょうか。
このように、「終活」はクリスチャンの死生観と深い調和した意味ある行為により、『善き備え』として神が与えて下さる恵みの時となるのです。
次週は
神が喜ぶ『善き備え』とは?について一緒に考えてみましょう。
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