➖最後の言葉集⑤➖ キリスト教の葬儀と信仰

目次

聖書の「最後の言葉」から学べる事

信仰や価値観の本質が表れる

この世での最後の幕が下りようとする時、その人の信仰や人生観が最も純粋な形で表現されるようです。最後まで希望や愛を持ち続けることの大切さ、難しさが伝わります。聖書に記された実在する信仰者が、遺した最後の言葉、現代を生きる私たちにも大きな影響や学びを残します。他人の経験や最後の思いから学ぶことは、歴史や人生の知恵を受け継ぐ機会でもあります。特に聖書の信仰者の「最後の言葉」からは、信仰・希望・感謝・人生の知恵など、困難なときにこそ大切にしたい価値観を学ぶことができます。

最初の殉教者ステパノの「最後の言葉」を新約聖書から取り上げてみましょう。

ステパノのこの世での最後の言葉は次の二つです。

「主イエスよ、私の霊をお受けください。」

もう一つは

ひざまずいて大声で「主よ、この罪を彼らに負わせないでください。」と言い、眠りにつきました。

これらは「使徒の働き」7章59~60節(新改訳聖書)に記されています。

ステパノの殉教の場面この箇所は、初代教会の執事ステパノが石打ちで殉教する場面です。

ステパノは石を投げつけられながら、「主イエスよ、私の霊をお受けください」と祈り、自分の命をイエスに委ねました。

敵のためのとりなしの祈りさらに彼は、ひざまずき「主よ、この罪を彼らに負わせないでください」と叫びます。

これは、イエスが十字架上で「父よ、彼らをお赦しください」と祈られた姿と重なりますが、ステパノは「主よ」と呼びかけ、赦しの理由を述べていません。

これは、裁きと赦しを主イエスに全面的に委ねる信仰の現れです。

信仰と赦しの模範ステパノは、自分を殺す者たちのために赦しを祈り、最後まで敵を愛しました。彼の姿は、キリストの愛と赦しを体現する模範として、後の教会に大きな影響を与えました。

・われらの主 イエス・キリストの地上での最後の言葉

イエス・キリストは人として来られ、この世での最後の言葉(十字架上での最後の言葉)は、

「父よ、わが霊を御手にゆだねます。」

です。(ルカの福音書23章46節 新改訳聖書)

この言葉を叫んで、イエスは息を引き取られました。

別の記述では

 イエスは、酸いぶどう酒を受けられると、「完了した。」と言われた。そして、頭を垂れて、霊をお渡しになった。(ヨハネの福音書 19章30節 新改訳聖書 )

特にこの「完了した」というイエスの言葉は、十字架上での苦しみの果てに、神の救いの計画が完全に成し遂げられたことを示しています。

この言葉によって、旧約聖書に預言されていたメシアの受難がすべて成就し、人類の罪の贖いが一度限りで完全に成し遂げられたことが宣言されました。イエスは自らの死によって、神と人との間に平和をもたらし、救いの道を開かれたのです。

また、「完了した」はイエスの生涯と使命が神の御心に従って全うされたこと、そしてこれから新しい時代が始まることをも意味しています。この言葉は、信じる者に罪の赦しと永遠のいのちの希望が与えられたことを示す、決定的な宣言です。

📖 過去のシリーズ記事もぜひご覧ください

🔹 第1弾:最後の言葉集①

🔹 第2弾:最後の言葉集②

🔹 第3弾:最後の言葉集③

🔹 第4弾:最後の言葉集④

グレースセレモニーは、事前のご相談から、ご依頼主様と同じキリストを信じる者として、共に祈り準備を重ねて参ります。葬儀を通して、召された方の信仰の歩みから、参列者お一人お一人に福音を分かち合い、キリストを紹介する場として、召された方の思いを大切にしつつ、一都三県でのキリスト教葬儀を、最大限お手伝いさせて頂ければと願っております。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次