➖最後の言葉集④➖ キリスト教の葬儀と信仰
聖書の「最後の言葉」から学べる事
信仰や価値観の本質が表れる
この世での最後の幕が下りようとする時、その人の信仰や人生観が最も純粋な形で表現されるようです。最後まで希望や愛を持ち続けることの大切さ、難しさが伝わります。聖書に記された実在する信仰者が、遺した最後の言葉、現代を生きる私たちにも大きな影響や学びを残します。他人の経験や最後の思いから学ぶことは、歴史や人生の知恵を受け継ぐ機会でもあります。特に聖書の信仰者の「最後の言葉」からは、信仰・希望・感謝・人生の知恵など、困難なときにこそ大切にしたい価値観を学ぶことができます。
初期教会のリーダー・使徒たちの「最後の言葉」を新約聖書から取り上げてみましょう。
・ヨハネのこの世での最後の言葉 愛と真理を説いた使徒
ヨハネのこの世での最後の言葉は存在しませんが、新改訳聖書において記録されているのは、ヨハネの黙示録22章20~21節です。
「アーメン。主イエスよ、来てください。主イエスの恵みがすべての者とともにあるように。アーメン。」(黙示録22:20-21 新改訳聖書)
この祈りと祝福の言葉が、ヨハネの聖書における最後のメッセージです。
文脈と背景
この箇所は、新約聖書の最後の書であるヨハネの黙示録の締めくくり部分です。黙示録は、終末の出来事や新しい天と地の到来について記しています。22章は、神の国の完成と、イエス・キリストの再臨への期待を表現しています。
「アーメン。主イエスよ、来てください。」
この言葉は、クリスチャンの信仰告白と希望を表しています。「アーメン」は「その通りです」「確かにそうなりますように」という意味です。「主イエスよ、来てください」は、キリストの再臨を待ち望む切なる祈りです。初代教会では「マラナ・タ(主よ、来てください)」というアラム語の祈りが使われていました。
「主イエスの恵みがすべての者とともにあるように。」
ここでは、イエス・キリストの恵み、すなわち救いと愛が、すべての信じる人々に注がれるようにと願っています。これは、信仰者同士の祝福の言葉であり、キリストにある交わりと希望を表現しています。
この箇所には、キリスト教信仰の本質である「主の再臨への希望」と「恵みによる救い」を簡潔に示しています。信仰者は、現実の困難の中でも、主イエスの再臨と恵みを信じて歩むという、力強いメッセージが込められています。
・パウロのこの世での最後の言葉 異邦人伝道の使徒
パウロの「この世での最後の言葉」として最も広く受け止められているのは、テモテへの手紙第二4章6~8節(新改訳聖書)です。
「私はすでに注ぎのささげ物となっています。私が世を去る時が来ました。私は勇敢に戦い抜き、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。あとは、義の栄冠が私のために用意されているだけです。」(テモテへの手紙第二4章6~8節 新改訳聖書)
この言葉が、パウロの人生と信仰の総括、そして聖書に記された彼の最後のメッセージです。
パウロの人生の総括
この箇所は、使徒パウロが自らの人生を振り返り、最期を迎える心境を語っている場面です。彼は自分の死が近いことを悟り、これまでの歩みを「注ぎのささげ物」として神にささげたと表現しています。これは、旧約の祭儀で行われた奉献のイメージを用い、自分の人生を神への捧げものと見なしていることを示します。
信仰の戦いと歩み
パウロは「勇敢に戦い抜き」「走るべき道のりを走り終え」「信仰を守り通した」と語っています。これは、彼が人生を通して福音のために戦い、神から与えられた使命を果たし、信仰を失わずに生き抜いたことを意味します。クリスチャンの人生を「戦い」や「競走」にたとえ、最後まで忠実であろうとする姿勢が示されています。
義の栄冠への希望
最後にパウロは、「義の栄冠」が自分に用意されていると述べます。これは、神が忠実な者に与えてくださる報い、すなわち永遠の命や救いの完成を指しています。パウロは自分の努力や功績ではなく、神の恵みによってこの栄冠が与えられると確信しています。
現代へのメッセージ
この箇所は、信仰者が人生の終わりに何を大切にすべきかを教えています。与えられた使命に忠実に生き、信仰を守り抜くことの大切さ、そして最後には神が正しく報いてくださるという希望を持つことが勧められています。
・ヤコブのこの世での最後の言葉 初代教会の柱的存在
ヤコブは殉教した際に遺した、最後の言葉としては聖書に記されていませんが、
新改訳聖書において、ヤコブの手紙の結び(5章19-20節)がヤコブの最後のメッセージとして知られています。
「私の兄弟たち。あなたがたの中に真理から迷い出た者がいて、だれかがその人を連れ戻すなら、罪人を迷いの道から引き戻す者は、その人のたましいを死から救い出し、多くの罪をおおうことになると知っていなさい。」(ヤコブの手紙5章19~20節、新改訳聖書)
この勧告が、ヤコブのこの世での最後の言葉として記録されています。
「真理から迷い出た者」とは誰か
この箇所で言う「真理から迷い出た者」とは、一度信仰に入ったクリスチャンでありながら、何らかの理由で信仰の道を外れてしまった人、罪の道に陥った人を指しています。
・連れ戻す者の役割
迷い出た人を「連れ戻す者」は、単なる観察者ではなく、愛と勇気をもってその人を真理の道へ導こうとする兄弟姉妹です。これは教会共同体の責任を強調します。
「罪人のたましいを死から救い出す」とは
「死」とは、単なる肉体的死ではなく、神との関係が断絶される霊的な状態を指します。迷い出た者が正しい道に戻ることで、その人は霊的な死から救い出されます。
「多くの罪をおおう」とは
ここでの「罪をおおう」とは、悔い改めによって罪が赦され、新たな歩みを始めることができるという希望を表しています。他人の罪の責任を負うのではなく、悔い改めの機会を与えることが救いとなります。
・信仰共同体の意義
ヤコブ書は、信仰者同士の相互支援と責任を強調しています。迷い出た者を見捨てず、愛と配慮をもって回復へ導くことが主の喜ばれる行いであるとします。
ヤコブの手紙5章19〜20節は、個人の救いだけでなく、教会全体が互いの信仰生活を見守り、助け合うことの大切さを説いています。信仰から迷い出ても、諦めずに戻るチャンスがあること、そしてその過程を支える兄弟姉妹の愛と行動の重要性を示唆しています。
・ペテロのこの世での最後の言葉 岩と呼ばれたリーダー
ペテロの殉教に際して最後の言葉は聖書に記されていませんが、遺言的な最後の言葉(新改訳聖書)を見てみましょう。
ペテロ自身の「この世での最後の言葉」として記録されているのは、ペテロの手紙第二の結び(3章18節)です。
「私たちの主であり救い主であるイエス・キリストの恵みが、今も、また永遠の日に至るまでも、あなたがたの上にありますように。」(ペテロの手紙第二 3章18節、新改訳聖書)
また、「ペテロの手紙 第一」3章8節では「最後に申します。あなたがたはみな、心を一つにし、同情し合い、兄弟愛を示し、あわれみ深く、謙遜でありなさい」とまとめの言葉を残しています。
この祝福の言葉が、ペテロの聖書における最後のメッセージです。
「最後に申します」は手紙の締めくくりではなく、ここまでの教えの総まとめ、またクリスチャンが目指すべき信仰の完成や目標を示す言葉です。
ペテロは、困難な時代や社会的弱者として生きるクリスチャンたちに、教会内外でどのような心構えで歩むべきかを示しています。
「心を一つにし」
信仰による一致を大切にし、分裂や対立を避けて、共通の目的(キリストに従うこと)に向かうことを励ましています。
「同情し合い」
互いの苦しみや弱さを理解し、共感し合う姿勢。自分ごとのように他者の痛みを感じる心を持とうとすすめています。
「兄弟愛を示し」
教会の仲間を家族のように大切にし、偽りのない愛を持って接し
「あわれみ深く」
困っている人や弱い立場の人に対して、思いやりと優しさを持つことが大切としています。
「謙遜でありなさい」
自分を高ぶらせず、他者を尊重し、仕える心を持つことを忘れてはならないと教えています。
これらは単なる道徳的な勧めではなく、クリスチャンが神の目的に向かって成長し続けるための「到達すべき目標」として示されています。また、悪に対して悪で返さず、祝福をもって応えることが、信仰者の生き方であると強調されています。
次週は
最初の殉教者ステパノの最後の言葉
そして
われらの主 イエス・キリストの地上での最後の言葉を新約聖書から取り上げて見ましょう。
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グレースセレモニーは、事前のご相談から、ご依頼主様と同じキリストを信じる者として、共に祈り準備を重ねて参ります。葬儀を通して、召された方の信仰の歩みから、参列者お一人お一人に福音を分かち合い、キリストを紹介する場として、召された方の思いを大切にしつつ、一都三県でのキリスト教葬儀を、最大限お手伝いさせて頂ければと願っております。
