➖最後の言葉集③➖ キリスト教の葬儀と信仰
聖書の「最後の言葉」から学べる事
信仰や価値観の本質が表れる
この世での最後の幕が下りようとする時、その人の信仰や人生観が最も純粋な形で表現されるようです。最後まで希望や愛を持ち続けることの大切さ、難しさが伝わります。聖書に記された実在する信仰者が、遺した最後の言葉、現代を生きる私たちにも大きな影響や学びを残します。他人の経験や最後の思いから学ぶことは、歴史や人生の知恵を受け継ぐ機会でもあります。特に聖書の信仰者の「最後の言葉」からは、信仰・希望・感謝・人生の知恵など、困難なときにこそ大切にしたい価値観を学ぶことができます。
異邦の地で神の計画を担った人物(夢・幻・預言)の「最後の言葉」
・ヨセフのこの世での最後の言葉 夢解きでエジプトの宰相となり、イスラエルの民を救う
ヨセフのこの世での最後の言葉は、創世記50章24〜25節 新改訳聖書に記されています。
「私は死のうとしている。神は必ずあなたがたを顧みて、この地からアブラハム、イサク、ヤコブに誓われた地へ上らせてくださいます。」
さらに、「神は必ずあなたがたを顧みてくださるから、そのとき、あなたがたは私の遺体をここから携え上ってください」
と言いました。
この言葉が、ヨセフの地上での最後の言葉です。
ヨセフの信仰と希望の遺言
ヨセフはエジプトで豊かに生き、権力も得ましたが、自分の死に際して「約束の地」カナンへの帰還を強く願いました。これは、神がアブラハム、イサク、ヤコブに与えた約束が必ず成就するという信仰に基づいています。
ヨセフは自分の死後も神の約束が続くことを確信し、イスラエルの民が必ずエジプトを出てカナンの地に導かれると予告しました。実際、この言葉は出エジプトの預言ともなっています。
ヨセフが自らの遺体をカナンに運ぶよう命じたのは、神の約束への信頼を子孫に示すためであり、民全体に「この地は仮住まいであり、真の故郷は神の約束の地である」と教えています。
信仰の継承と希望
ヨセフの言葉は、現状に満足せず、神の約束を待ち望む信仰の姿勢を表しています。民がエジプトに安住することなく、約束の成就を求め続けるよう励ましています。
この箇所は、困難な状況の中でも神の約束を信じて歩むことの大切さ、神が備えられた真の祝福を待ち望む姿勢、そして希望を次世代につなぐ信仰の遺産を象徴しています。
・ダニエルのこの世での最後の言葉 バビロン捕囚下で夢や幻を解き明かし、信仰を守った預言者
ダニエル書において、ダニエル自身の「この世での最後の言葉」として記録されているのは、以下の箇所です。
「わが主よ。この終わりは、どうなるのでしょう。」(ダニエル書12章8節 新改訳聖書)
これに対し、神からの答えとして、
「あなたは終わりまで歩み、休みに入れ。あなたは時の終わりに、あなたの割り当ての地に立つ。」(ダニエル書12章13節 新改訳聖書)
と語られています。
つまり、ダニエルの最後の言葉は「この終わりは、どうなるのでしょう」という問いであり、神から「終わりまで歩み、休みに入れ」と励まされて幕を閉じます。
この場面は、預言者ダニエルが神から終末についての幻や啓示を受けている場面です。しかし、その内容があまりに深遠で難解だったため、ダニエル自身も完全には理解できませんでした。
「この終わりは、どうなるのでしょう」
ダニエルは、神の語る「終わり」・・つまり、世の終末や最後の時代に何が起こるのかについて、理解しきれずに神に問いかけています。「この終わり」とは、神が定めた歴史の結末、特に苦難の時や救いの完成を指しています。
人間の限界
ダニエルほどの信仰者でも、神の計画や終末の全貌を完全には理解できません。人間にはわからないことがある、という謙虚な姿勢がここに表れています。
神への信頼
分からないことがあっても、神に問い、信頼し続ける態度が大切です。ダニエルは自分の理解を超えることでも、神に尋ね、導きを求めました。
終わりの時の希望
この後の箇所で神は「終わりの時には多くの者が清められる」と語り、最終的には神の救いと正義が実現することを示唆しています。終末は恐れだけでなく、希望も含んでいるのです。
この節は、「分からないことがあっても、神に尋ね、信頼し続けることの大切さ」を教えています。また、神の計画は人間の理解を超えているが、最終的には神の正義と救いが成し遂げられる、という希望も示しています。
次週は
初期教会のリーダー・使徒たちの最後の言葉を新約聖書から取り上げて見ましょう。
ヨハネ:愛と真理を説いた使徒
パウロ:異邦人伝道の使徒
ヤコブ:初代教会の柱的存在
ペテロ:岩と呼ばれたリーダー
を予定しています。こちらもぜひ御覧ください。
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グレースセレモニーは、事前のご相談から、ご依頼主様と同じキリストを信じる者として、共に祈り準備を重ねて参ります。葬儀を通して、召された方の信仰の歩みから、参列者お一人お一人に福音を分かち合い、キリストを紹介する場として、召された方の思いを大切にしつつ、一都三県でのキリスト教葬儀を、最大限お手伝いさせて頂ければと願っております。
