➖讃美から葬儀を考える③➖ キリスト教の葬儀と信仰
讃美から葬儀を考える
キリスト教葬儀の特徴とは
キリスト教の葬儀の特徴は神へ捧げる礼拝であることです。祈りと聖書朗読、牧師による説教で死後の復活、天国での再会、そして讃美を通して神への感謝や故人への思いが表現されます。このシリーズでは特にこの讃美をクローズアップしていきます。第三弾として海外の葬儀でよく歌われる、伝統的な讃美歌からコンテンポラリーなワーシップソングをご紹介していきます。
「How Great Thou Art」(邦題:輝く日を仰ぐとき)
詩篇8篇3〜4節より
3 あなたの指のわざである天を見、あなたが整えられた月や星を見ますのに、4 人とは、何者なのでしょう。あなたがこれに心に留められるとは。人の子とは、何者なのでしょう。あなたがこれを顧みられるとは。

「How Great Thou Art」(邦題:輝く日を仰ぐとき) 背景をみてみましょう。
元はスウェーデンの牧師カール・ボバーグが1885年頃に書いた詩がもとになっています。スウェーデン民謡の調べと共に広まり、その後複数の言語に翻訳されました。英語版は1949年にスチュアート・K・ハインによって完成されました。
歌詞の意味をみてみましょう。
第1節: 神の創造の業を讃えています。雷鳴や星空など、自然の壮大さを通して神の偉大さを表現しています。
リフレイン: 「なんと偉大であられることか」と繰り返し、神への畏敬の念を表しています。
第2節: 森や山々の美しさ、鳥のさえずりなど、自然の中で感じる神の存在を歌っています。
第3節: キリストの十字架の犠牲を通じて示された神の愛を讃えています。
第4節: キリストの再臨と永遠の命への希望を歌っています。
この讃美歌は、創造主としての神の偉大さと、救い主としてのキリストの愛を讃えています。自然の美しさや壮大さを通して神の存在を感じ、同時に人類への深い愛を表現しています。
1957年にビリー・グラハムの伝道集会で使用されて以降、世界中で広く歌われるようになりました。
この讃美歌は、神の偉大さと愛を思い起こさせ、多くの人々に慰めと希望を与え続けています。
「The Old Rugged Cross」(邦題:丘に立てる荒削りの)
ペテロへの手紙第一2章24 節より
24 そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。
「The Old Rugged Cross」丘に立てる荒削りの
この讃美歌は1912年にジョージ・ベナード(George Bennard)によって作詞・作曲されました。十字架の意味と、キリストの犠牲に対する深い感謝を表現しています。
背景をみてみましょう。 ベナードは、キリストの十字架の意味について深く考えた結果、この曲を書きました。「荒削りの(rugged)」という表現は、キリストの苦難を象徴しています。
歌詞の意味をみてみましょう。
第1節: 遠い丘の上に立つ古い十字架を、苦しみと恥辱の象徴としながらも、愛おしむ気持ちを表現しています。
リフレイン: 古い荒削りの十字架を大切にし、最後には王冠と交換することを歌っています。これは、現世の苦難を経て天国で報われることを意味します。
第2節: 世間から軽蔑される十字架が、歌い手にとっては魅力的であることを述べています。神の子羊が栄光を捨てて十字架にかかったことを讃えています。
第3節: 十字架に染みついた神聖な血に美しさを見出し、イエスの犠牲によって罪が赦されたことを歌っています。
第4節: 古い十字架に永遠の忠誠を誓い、いつか神の栄光の中で過ごせることへの希望を表現しています。
この讃美歌は、キリストの犠牲への感謝と、信仰を通じて得られる希望を伝えています。苦難や恥辱の象徴である十字架を、救いと永遠の命のシンボルとして捉え直す、深い信仰心が表現されています。

「Blessed Assurance」(邦題:つみとがをゆるされ)
詩篇32篇1〜2節より
1 幸いなことよ。そのそむきを赦され、罪をおおわれた人は。2 幸いなことよ。主が、咎をお認めにならない人、その霊に欺きのない人は。

「Blessed Assurance」つみとがをゆるされ この讃美歌は1873年にフェニー・クロスビーによって作詞され、フィービー・パルマー・ナップが作曲しました。
背景をみてみましょう。 クロスビーは生後6週間で視力を失いましたが、8,000以上の讃美歌を作詞した著名な作詞家です。この曲は、ナップが作ったメロディーを聞いたクロスビーが即興で歌詞をつけたことから生まれました。
歌詞の意味みてみましょう。 第1節: 救いの確信と神の栄光を前もって味わう喜びを表現しています。
リフレイン: 「これが私の物語、これが私の歌」と、救い主を一日中讃美する決意を歌っています。
第2節: 神への完全な従順と、天からの愛のささやきを描いています。
第3節: 救い主の中にある安らぎと、神の善良さに満たされる喜びを歌っています。
この讃美歌は、キリスト教信仰の核心である救いの確信と、それに伴う喜びを表現しています。信者が神との関係の中で経験する平安と幸福を描き出し、多くの人々に慰めと励ましを与えています。
クロスビーの深い信仰と、困難を乗り越えた人生は、この讃美歌を通じて多くの人々に希望を与えています。
「Great Is Thy Faithfulness」(邦題:主のまことはくしきかな)
哀歌3章22~24節より
22 私たちが滅びうせなかったのは、主の恵みによる。主のあわれみは尽きないからだ。23 それは朝ごとに新しい。「あなたの真実は力強い。24 主こそ、私の受ける分です」と私のたましいは言う。それゆえ、私は主を待ち望む。
「Great Is Thy Faithfulness」(主のまことはくしきかな) 背景をみてみましょう。
この讃美歌は、トーマス・O・チザム(Thomas O. Chisholm)が作詞し、ウィリアム・M・ラニヤン(William M. Runyan)が作曲しました。チザム1866年に生まれ、1960年に亡くなりました。ラニヤンは1870年に生まれ、1957年に亡くなりました。
歌詞の意味をみてみましょう。 第1節: 神の変わらぬ真実と慈しみ、憐れみを讃えています。
リフレイン: 神の真実が朝ごとに新しく、深い恵みが与えられることを歌っています。
その他の節: 季節の移り変わり、太陽や月、星々など、神の創造の業を通して神の誠実さを表現しています。
この讃美歌は、神の変わらぬ愛と誠実さを称えています。人生のあらゆる状況において、神が常に共にいて導いてくれることへの信頼と感謝を表現しています。
日本語では「主の真実はくしきかな」や「父の神の真実」などのタイトルで知られています。
この讃美歌は、神の変わらぬ愛と誠実さを思い起こさせ、信仰者に慰めと希望を与え続けています。

「It Is Well With My Soul」(邦題:安けさは川のごとく)
詩篇46篇1〜5節より
1 神はわれらの避け所、また力。苦しむとき、そこにある助け。2 それゆえ、われらは恐れない。たとい、地は変わり山々が海のまなかに移ろうとも。3 たとい、その水が立ち騒ぎ、あわだっても、その水かさが増して山々が揺れ動いても。セラ4 川がある。その流れは、いと高き方の聖なる住まい、神の都を喜ばせる。5 神はそのまなかにいまし、その都はゆるがない。神は夜明け前にこれを助けられる。

「It Is Well With My Soul」安けさは川のごとく この讃美歌は、ホレイショ・スパフォード(Horatio Spafford)によって書かれました。彼の人生には多くの悲劇がありましたが、それらを通して神への信仰と平安を歌詞に込めています。
背景をみてみましょう。 スパフォードは息子を病気で失い、シカゴ大火で財産を失いました。さらに、家族を元気づけるためのヨーロッパ旅行中、船の事故で4人の娘を失いました。妻を迎えに行く船上で、彼は深い悲しみの中にも神の平安を感じ、この讃美歌を作詞しました。
歌詞の意味をみてみましょう。 1番: 「平安が川のように流れる時も、悲しみが波のように押し寄せる時も、私の魂は安らかです」と歌い、どんな状況でも神への信頼を表現しています。
2番: 試練や悪魔の攻撃があっても、キリストが自分の弱さを顧みて血を流してくださったことにより平安があると述べます。
3番: 自分の罪が十字架に釘付けられたことで、罪から解放された喜びと感謝を歌います。
4番: キリストの再臨と天国への希望を描き、「それでも私の魂は安らかです」と締めくくります。
この曲は、人生の苦難や悲しみの中でも神が共におられることへの確信と平安を教えてくれます。スパフォード自身の深い信仰と希望が込められており、多くの人々に慰めと励ましを与えています。
📖 過去のシリーズ記事もぜひご覧ください
🔹 第1弾:讃美から葬儀を考える① 🔹 第2弾:讃美から葬儀を考える②
キリスト教葬儀における讃美歌の役割と希望
キリスト教の葬儀では、悲しみだけでなく「天国での再会の希望」や「永遠の命」を伝えるために、讃美歌が重要な意味を持ちます。それぞれの曲が持つ背景や聖書メッセージを知ることで、より深く信仰の意味を感じることができるでしょう。
グレースセレモニーでは、讃美歌の選定についても、お一人おひとりの思いや召された方の信仰を大切にし、心に残るキリスト教葬儀をお手伝いいたします。
グレースセレモニーは、事前のご相談から、ご依頼主様と同じキリストを信じる者として、共に祈り準備を重ねて参ります。葬儀を通して、召された方の信仰の歩みから、参列者お一人お一人に福音を分かち合い、キリストを紹介する場として、召された方の思いを大切にしつつ、一都三県でのキリスト教葬儀を、最大限お手伝いさせて頂ければと願っております。