➖みことばから葬儀を考える④➖ キリスト教の葬儀と信仰
みことばから葬儀を考える
キリスト教の葬儀
コロナ禍を経て、華美で仰々しい葬儀が見直される傾向にあるのは、歓迎すべきことだと思います。 だからこそ、わたしたちは より内容へと目を向け、神が喜ばれる葬儀とは何かを祈り求めます。
伝道者の書12章7節
ちりは、もとのように土に帰り、霊はこれを授けた神に帰る。
ローマ人への手紙12章15節
喜ぶ者といっしょに喜び、泣く者といっしょに泣きなさい。
私たちクリスチャンは、この地上の歩みが終わった後、天で神に迎え入れられ、永遠の命が与えられる希望を頂いています。そこは、病も争いも憎しみもなく、神が愛で治める御国です。
しかしながら地上の別れに、寂しさや痛みがないわけではありません。召された方の魂は神に受け入れられていても、残された家族や友人は、大きな喪失感を感じるものです。悲しんでいる人は信仰が薄いと言う事は全くありません。
聖書では、死を悼み悲しむ場面が多く記述されています。例えばあの有名なアブラハムも、妻サラが死んだ時、サラのために嘆き泣いたと創世記23:2に記録されていて、その後その土地の人の所に行き、土地を買って墓として葬っています。又新約聖書には、愛するラザロが死んだ事を聞いたイエスは、涙を流されたとヨハネ11章35節に書かれています。
ですから愛する方との地上の別れを、悲しんでいいのです。神は慰め主とも言われていますから、悼み悲しみつつ静かにお別れの時を過ごし、そして召された方の魂が、神の御元で安らかにある事を思い巡らせつつ、ゆっくり心が癒され、神の慰めを受け取っていかれるのだと思います。そしていつか天で再会する希望に思いが向けられる事と信じています。
グレースセレモニーは、事前のご相談から、ご依頼主様と同じキリストを信じる者として、共に祈り準備を重ねて参ります。葬儀を通して、召された方の信仰の歩みから、参列者お一人お一人に福音を分かち合い、キリストを紹介する場として、召された方の思いを大切にしつつ、一都三県でのキリスト教葬儀を、最大限お手伝いさせて頂ければと願っております。
📖 過去のシリーズ記事もぜひご覧ください
🔹 第1弾:聖書に学ぶ葬儀①
🔹 第2弾:聖書に学ぶ葬儀②
🔹 第3弾:聖書に学ぶ葬儀③
