➖葬儀で証しするの?➖ キリスト教の葬儀と信仰
「図らずも信仰」に生かされた人を想う
キリスト教の葬儀
先日ご案内させて頂いた、ご葬儀で受けた恵みから抜粋です。
「はからずも」
ルツ記2章3節
ルツは出かけて行って、刈る人たちのあとについて、畑で落ち穂を拾い集めたが、それは、はからずもエリメレクの一族に属するボアズの畑のうちであった。

「神の与える図らずもに目をとめる信仰」
先日のご葬儀で、天に召された方が、かつて書かれたお証しをご友人が代読され、その中にこの御言葉から、神のはからずもに目を留めていきたい、との言葉がありました。天に召された方の信仰生涯を振り返るとき、いつも多くの気付きが与えられます。
天に召された方が、苦しいところを通過させられながらも、全ての事柄が偶然に起きているのではなく、全て神の導きの中にある事。そしてその中で当たり前はなく、神の憐れみと恵みの中に、生かされている事として、神により頼みよく祈り歩まれた人生。私たちもこの事に目を留められたなら、なんと感謝な事だろうと思わされました。そうすればたとえ試練の中でもイエス・キリストの十字架の故に、忍耐が与えられるのではないでしょうか。ルツとボアズの出会いの当時は、その後綿々と子孫が続き、そしてイエス・キリストの誕生に至るとは、想像もつかなかった事ではないでしょうか。そしてイエス・キリストが、私たちの罪を贖ってくださるために十字架につけられ、死んで黄泉に下り葬られ、三日の後に死者の中から甦り、天に上り神の右に座し、今も私たちの為に日々執成してくださり、私たちの希望と励ましとなるなど到底考えつく事もない壮大な神のご計画です。しかもその神のご計画は、今も粛々と進んでいる事を思わされました。お証しを聞きながら、私たちもまた神のはからずもに目を留めて歩みたいと励まされました。
グレースセレモニーは、事前のご相談から、ご依頼主様と同じキリストを信じる者として、共に祈り準備を重ねて参ります。葬儀を通して、召された方の信仰の歩みから、参列者お一人お一人に福音を分かち合い、キリストを紹介する場として、召された方の思いを大切にしつつ、一都三県でのキリスト教葬儀を、最大限お手伝いさせて頂ければと願っております。